ダメ社員時代の話し(9)

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こんにちは、今井です。

このところ、私の会社員時代の体験記
を書いております。

第1話:
http://carriageway.jp/blog/2016/07/3145/
第2話:
http://carriageway.jp/blog/2016/07/3148/
第3話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3152/
第4話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3155/
第5話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3158/
第6話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3162/
第7話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3165/
第8話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3169/

今回は9話目です。

・・・

他人と比較することなく、
新規事業にチャレンジできたのは、

「3年かかっていいから、
自分のキャリアにとって大きな財産となる
実績をつくろう!」

という長期的なゴールがアリアリと
イメージできたからでした。

もう一つの理由は、

「失敗に対する分析」

でした。

未経験の仕事は恐かったです。

失敗したらどうしようと言う恐怖です。

そこで、失敗するとどうなるかを
突き詰めて考えることにしました。

そして、どう考えても、
出てくる結論はこれでした。

部長に怒られる。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

これだけです。

減俸の制度はないし、
クビにできるような会社でもありません。

ビビりながらやっても、
大胆にやってもリスクは変わりません。

じゃぁ、与えられたチャンスを
活用しまくろうと思いました。

未経験なのでミスの連続でした。

営業に時間をかけても、
失注、失注の連続でした。

でも、開発や営業、マネジメント、
企画立案など、さまざまな経験が
できました。

社内外には人脈が増えて来ました。

営業の方々とも親しくなったし、
ソフトベンダー、ハードベンダー
の方々とも仲良くなってきました。

開発をしてくれるソフトハウスの
方々とは、もう仲間でした。

「あの案件は失注しました」

という報告を部署のメーリングリストに
投げる日々を耐えられたのは、
成長の実感を感じられたからだと思います。

たくさんの経験をさせてもらいましたが、
特に貴重な経験をさせてもらったなと
後から思うことが3つあります。

それは、、、

(つづく)

ダメ社員時代の話し(8)

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こんにちは、今井です。

このところ、私の会社員時代の体験記
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第4話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3155/
第5話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3158/
第6話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3162/
第7話:
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今回は8話目です。

・・・

商品開発は困難を極めました。

もともとの研究レベルの技術なので、
設計書もペラペラです。

請け負っているのも関連会社ですが、
商用システムの開発には慣れていません。

関係者は多いし、リーダーの私も開発は
初めてのことですし右往左往しました。

年度末までに計画通りに終わらずに、
予算が使えないという状況にも陥りました。

険悪なムードになって、
訴訟を起こそうかという話さえ出ました。

まだ案件を1つも受注していないことが
唯一の救いでした。

結局、売れるレベルのモノをつくるのに、
2年近くかかっていました。

その間の評価は、もちろん「C」です。

でも、この頃から、目先の評価はあまり
気にならなくなってきました。

一番の要因は、ちょうど福島正伸先生の
研修を受講したことです。

細かな内容は覚えていないのですが、
確実にマインドが変わりました。

「3年かけてじっくり立ち上げよう」

という気持ちが芽生えていたのです。

(「3年」というのは、今でも私が
事業を軌道に乗せる目安になっています)

周りが大きな案件を受注していても、
評価の高い同期がいても、
あまり関係ありません。

「目の前の新規事業を立ち上げ、
実績を1つ作る」

という目標が常に頭にありました。

「3年後に新規事業を立ち上げた自分」
をイメージするとワクワクしました。

社内でもなかなかないですし、
転職や独立するにしても
力になるだろうと思いました。

目先の儲かっている案件に関わろうと
する人たちを見て、逆にもったいないと
さえ思うようになりました。

短期的に評価されるかも知れないけど、
独自のスキルや実績はできないからです。

もう一つ、新規事業に果敢にチャレンジ
できた理由があります。

それは、、、

(つづく)

ダメ社員時代の話し(7)

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こんにちは、今井です。

先週から、私の会社員時代の体験記
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第5話:
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第6話:
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今回は7話目です。

・・・

IT企業で商品開発をしながら、
営業活動もすることになりました。

システム開発のプロジェクトが
未経験だった私にとって、

一番の不安は、

「売れたらどうしよう。
どうすれば良いんだろう・・・」

という漠然とした不安でした。

売れた後の事をイメージできないので、
なんか、ふわふわした感じで、
営業をしていたと思います。

でも、

「最初から売らなくても良いんだ」

ということに気づかされる出来事が
起こりました。

「システムは必要ないんだけど、
データの処理だけしてもらえないかな?」

という依頼があったのです。

非常に安い案件でしたが、
受注に変わりはありません。

しかも、システムを納品せずに済みます。

作りかけの商品を持っている私たちにとって
ピッタリの仕事でした。

小さな仕事ですが、必死でやりました。

「ああでもない、こうでもない」
と言いながら、マシンルームで作業を
しました。

まだまだシステムに導入できる商品では
ありませんでしたが、手作業などもしながら、
データを納品することができました。

「こうやって小さく進めて行けば良いのか」
と、徐々に新規事業の進め方が
分かって来ました。

他の新規案件のチームを見ても、
最初は「実証実験」などと言う名目で、
持ち出しでプロジェクトを進めていました。

これを知って、営業するときのオファーが
変わってきました。

「一度、効果を試してみませんか?」

という提案ができるようになったのです。

「システムがちゃんと動作した」
という安心感も後押しして、
徐々に営業にも慣れて来ました。

社内でも少しずつ認知されるように
なってきました。

客先に連れて行ってもらえるようになり、
コンペなどがあれば、
声をかけてもらえるようになって来ました。

ただ、成果は上がりませんでした。

訪問する際の資料はこちらが作ります。

お客様ごとに資料をカスタマイズするのに、
毎回、数日かかりました。

それで「ふ~ん」という一言で終ることも
たびたびありました。

営業側としてはネタが欲しいだけです。
訪問する理由ができるからです。

お客様に興味がなければ、
別の商品を持って行くだけの話しです。

コンペの提案書を作るとなると、
毎日残業をしながら2週間かかりました。

私の部署だけでなく、さまざまな部署が
関係してきますし、ハードベンダーさん
など社外の情報も必要です。

「見積もり」というのが本当に大変で、
これを間違えてだいたい赤字になります。

担当している部分は自分で見積もりますので、
かなり気を使います。

へとへとになりながら、
何度もコンペに参加しましたが、
受注できませんでした。

こうやって労力だけを使って、
月日が過ぎて行きました。

(つづく)

ダメ社員時代の話し(6)

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先週から、私の会社員時代の体験記
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今回は6話目です。

・・・

新規事業をやることになって、
商品開発がスタートしました。

とはいうものの、現場経験がないので、
どんな仕様にすればいいのか分かりません。

以前のプロジェクトでは、
ただ資料を作り続けて1ヵ月たった
ということもありました。

このままだと、その二の舞です。

その時に部長が連れてきてくれたのが、
現場経験の長い、関連会社のSEさんでした。

チームは3人になり、分からないなりに
リーダーとしてやって行くことになりました。

開発も分かりませんでしたが、
営業も分かりません。

でも、自分が売らなければ
誰も売ってくれません。

これも、試行錯誤しながらチャレンジ
していくことになりました。

「まだ存在しない商品を売る」
というのはいまいちピンと来ません。

そもそも、システム開発の大企業が
どうやって営業するものなのかも、
さっぱりわかっていません。

後になって理解できましたが、
ほとんどの仕事は既存の取引先からの
受注です。

新規営業というのは、会社として、
あまり経験のないことでした。

この後に、官公庁などの受注が減って来て、
新規開拓の部署も作られて行きます。

私のように技術開発部門の人間にとって、
営業というのは社内営業を意味します。

営業の部署がお客様とつながっているので、
そこでこのシステムのニーズがないか、
ヒアリングしていくわけです。

ここでも、嫌な経験が思い出されます。

前にやっていたプロジェクトで、
営業部門の人に客先でのヒアリングを
お願いしたら、

「よくこんな漠然とした話が出来ますね」

と言われてしまったのです。

当然、そのプロジェクトはぽしゃりました。

その反省もあって、今回は具体的な機能や、
メリットについて説明できるように、
しっかり勉強していきました。

SEさんにもレクチャーを受けて、
実際のシステムの動きを細かく理解して
行きました。

お客様の業界知識も必要ですし、
ITや現場の知識も必要というわけです。

けっこうな負荷でした。

部長のつながりなどをたどって、
社内のヒアリングが始まりました。

毎日が新しいことの連続で、
こなすのが精いっぱいでした。

一番の不安は、

「売れてしまったらどうしよう」

という恐怖でした。

商品もできていないし、
自分は開発経験もないわけです。

そんな不安を言語化できないまま、
毎日、社内営業をやり、少しずつ開発を
進めて行きました。

しかしこの後、
そんな不安は感じなくても良い、
ということに気づくことになります。

(つづく)

ダメ社員時代の話し(5)

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こんにちは、今井です。

先週から、私の会社員時代の体験記
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第4話:
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今回は5話目です。

・・・

入社4年目だったと思います。

部長が変わって、担当部署の体制も
いろいろと入れ替えがありました。

数か月前にプロジェクトの先が見えず、
やる気を失っていたところでした。

私は新規事業をやることになりました。

と言っても、メンバーは2人だけ。

すでにある要素技術を売れる形にして、
サービスパッケージ化するという
プロジェクトです。

端的に表現すると上記のとおりですが、
当時は何をどうすれば良いのか?
まったく見えていませんでした。

そもそもゴールも理解してなかった
と思います。

実はその頃から、セミナーと言うものに
参加するようになっていました。

コーチングなども勉強しはじめ、
起業家の人たちの集まりにも、
少しずつ顔を出すようになりました。

「こんな世界があるんだなぁ」

という新鮮な驚きがありました。

それと同時に、

「会社だけが世界じゃないんだなぁ」

という当たり前のことが腑に落ちました。

社外の人たちと交流することで、
社内を客観的に見れるように
なってきました。

狭い世界で給料や昇進などを比較して
一喜一憂するのはとてもバカらしいと、
ようやく理解できてきた頃でした。

世界はもっと広いのです。

それまでの私であれば、
未経験のプロジェクトであれば、

「失敗したらどうしよう」
と深刻になっていたと思います。

でも、その時は他にやることもないし、
とりあえずやってみようと思いました。

失うものは何もありません。

(つづく)

ダメ社員時代の話し(4)

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こんにちは、今井です。

先週から、私の会社員時代の体験記
を書いております。

第1話:
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・・・

入社して2年目ぐらいだったでしょうか。

「成果報酬制度」が導入されました。

ABCDの4ランクで半年ごとに評価されて、
ボーナス額が上下します。

成果を出した人が評価されるのは良い事なので、
とても良い制度だと思っていました。

「努力が報われるのだ」
と、単純に考えていました。

実際には、私はほとんどC評価でした。
プラスマイナスゼロです。

上司からは、

「これが普通だから」

と慰められました。

周りでも、あまりA評価の人は、
聞いたことがありません。

現実はこんなもんかと思っていたところに、
別の部署の同期と話す機会がありました。

彼が言うには、B評価は珍しくないとのこと。
A評価もちらほらいるそうです。

後に知ったのは、そもそも部門全体の売上
によって大まかに評価がされているという
ことでした。

どれだけあがいても、儲かっている部署に
いなければ給料は上がらないわけです。

さらに驚いたのは、残業代の違いでした。

「入社数年で、こんなにもらってるの?!」

という残業代を別部署の同期はもらって
いました。

私の給料の2倍ぐらいにはなっていたのでは
ないでしょうか。

「毎日終電だよ」

と、彼は嘆いていましたが、
私は羨ましくて羨ましくて、
しかたありませんでした。

研究で特許を申請したやつが羨ましい。

営業で活躍しているやつが羨ましい。

給料を多くもらっているやつが羨ましい。

とにかく周りとの比較ばかりでした。

羨ましいという感情は、
社内ばかりではありません。

当時の日本はITベンチャーブームで、
テレビを見れば多くのIT起業家が
取り上げられていました。

そういう映像を見れば見るほど、
羨ましいという感情が湧きあがります。

彼らは、

「インターネットと出会って、
これは世界が変わると思った」

というような事を言っていました。

私だって、大学時代にいち早く
インターネットに触れています。

でも、世の中がどう変わるかなんて
考えたこともなかったし、
自分で会社を興すという発想は
ありませんでした。

そして、IT業界といえども、
地味な開発請負の会社にいました。

ここにいては、20年経っても、
30年経っても人生は変わりません。

頑張っても頑張っても、
未来はほとんど決まっています。

ITベンチャーの数百億円規模の
ニュースを毎日見ながら、

得たい未来とのギャップに
打ちのめされていました。

「もし、大学時代に気づいていたら・・・」

と、ありえない空想に逃げたりもしました。

(つづく)

ダメ社員時代の話し(3)

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こんにちは、今井です。

先週から、私の会社員時代の体験記
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第2話:
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・・・

「会社の中に自分の居場所がない」

という気持ちがあったのは、
自分の部署がメインストリームでは
なかったことも大きな要因でした。

会社の本業はシステム開発です。

しかし、研究開発部門にいる私は、
生のプロジェクトを体験できません。

いろんな部署の集まる会議で、
言っていることが分からないことが
良くありました。

言葉の意味は分かるのですが、
イメージができません。

臨場感が湧いてこないのです。

学生時代はプログラミングのアルバイトを
してたので、小さな開発は分かります。

ソフトウェア工学も勉強したので、
プロジェクト運営も概念では分かります。

でも、臨場感が湧いてきません。

大きなシステムを構築している具体的な
イメージがピンと来ないのです。

「今井さん、データ量が大きいんだから、
SQL文一つでやろうとしたらダメですよ。
メモリがいっぱいで止まっちゃいますよ」

なんてことをちょくちょく指摘されました。

習ったことは理論的には合っていても、
現場ではそのままは使えないのです。

打合せでは、的外れなことを言うと
カッコ悪いと思ったので、
黙っていることが多かったです。

現場経験がないというのが
とにかくコンプレックスでした。

でもその時は、上司や先輩に相談するとか、
そう言う事も思いつきませんでした。

分かっているふりをしていました。
平気なふりをしていました。

内心は、

「このままでやって行けるのだろうか」

という不安でいっぱいでした。

(つづく)