こんにちは、今井です。
「寄付をするとお金が入ってくる」
何度も何度もこの言葉を聞いてきました。
そして聞くたびに「本当かなぁ?」と思っていました。
しかし、私の人生は寄付で大きく変わりました。
思い出すのはあの光景です。
私は目の前の奇蹟の景色にただただ衝撃を受けました。
たくさんの笑顔と喜びに満ちた声、幸福感に包まれて、今まで体験したことのない素敵な感情を味わい、それが私の人生を変えたのです。
今でもその光景を、私はありありと思い出すことができます。
思い出すたびにとても満たされた気持ちになれます。
寄付をすることによって、私のビジネスの売上は着実に増えました。
しかし、私はそれ以上のものを得ることができました。
与えることは満たされることだと知ることができました。
私はそれを実体験できたことを本当に感謝しています。
いったい寄付はお金を増やす効果があるのか?
なぜ、そんなパワーがあるのか?
ここでは、寄付についての私の経験談をご紹介するとともに、寄付をすることでお金が入ってくるメカニズムについても解説します。
この記事が、寄付がしてみたいという方の手引きとして少しでもお役に立てば幸いです。
きっかけは友人に認められるためだった
先日、自分のクラウドファンディングの支援履歴を改めて眺めていました。
マウスを操作し画面をスクロールして、過去をずっとさかのぼっていくと、人生で初めて支援をしたプロジェクトにたどり着きました。それは2012年に友人のNPO法人にした寄付でした。
この寄付のことはよく覚えています。これが私の人生を変えてくれたのですから。
その前の年、2011年には東日本大震災があり、私も被災者向けの寄付をしました。
金額としては会社で200万円ほどです。小さい会社ですので、けっこう大きな額を頑張ったと思っています。
しかし、それは自分が被災地に行って支援活動ができないという罪悪感を消すことが大きな目的だったと思います。それによって自分が成長したとか、そういうことは感じませんでした。
ただ、私もそうですが、震災で多くの人が寄付をする経験をして、寄付への心理的な抵抗が減ったのではないかと思います。
そして、そのころに始まったクラウドファンディングという仕組みが、徐々に認知されるようになってきました。
そんな時に友人からメッセージが届きました。
「カンボジアに学校を建設します!」
2012年の11月のことでした。
それまでにも、カンボジアに学校を建てるプロジェクトにはいくつか寄付をしたことがあります。しかし、こんなに身近な友人がやっているのは初めてでした。
物珍しさも手伝って、すぐに私はクラウドファンディングのサイトにアクセスしました。初めての体験だったのでプロジェクトの詳細をじっくり読み込み、クラウドファンディングのしくみを理解しようとしました。
そこで、クラウドファンディングでは「寄付額とそのリターンを選ぶ」という事を初めて知りました。「リターン」とは、寄付をした見返りにもらえるプレゼントのようなものです。私はいくつか用意されているリターンを一つ一つ見て、何がお得かを品定めし始めました。
いくつかのリターンの中から私が選んだものは、「自分の名前が学校の壁に書かれる」と言うものでした。
そのリターンを選んだ理由は、一つは自己顕示欲。「自分は良いことをした」と誇れるし、誰かに認めてもらえるからです。
もう一つは経営者仲間である友人に対する見栄でした。「今井さんはこれぐらいの額しか寄付しないのか」と思われたくないので、数万円のものを選びました。
私の初めてのクラウドファンディング体験は、そんな不純な動機でした。
恥ずかしい名前
カンボジアの首都はプノンペン。そこに学校は建てられました。
クラウドファンディングのメールのしくみを通じて、友人からの報告が都度都度送られて来ていましたので、計画から完成までの取り組みを随時知ることができました。そのメールを読むだけでも、自分の寄付したお金がちゃんと使われていることが分かりました。
2013年のある日、別の用事でカンボジアに行くことになりました。アンコールワットのあるシュムリアップ、そしてプノンペンにも滞在します。
そのことを友人に連絡したところ、「学校をぜひ見に来てくださいよ!」ということで、そのツアーの後に、1人で別行動をして学校を見学をすることにしました。
当日の朝にプノンペンのホテルのロビーで待っていると、NPOのスタッフの女性がやってきました。
Tシャツを着てタオルを肩にかけて、顔は黒く焼けていました。それほど高級なホテルではありませんでしたが、それでも都会のホテルに入ってくる格好ではありませんでした。
「今井さんですか?じゃあ案内しますのでどうぞ」
タクシーを手配してくれたのかな?と思いホテルの外に出てみると、そこにはトゥクトゥクという小さな三輪自動車がありました。真っ黒に焼けたカンボジア人の運転手が、タバコを吸いながら運転席に座っています。
「なんでタクシーじゃないんだろう?時間がかかるんじゃないの?」と、その時は疑問に思いましたが、すぐに理由が分かりました。
プノンペンの市内は綺麗に舗装された道路なのですが、少し郊外に入ると、いきなり舗装されていない荒れた道が現れます。
どんどん道は細くなるし、でこぼこだし、雨が降って水たまりになっているし、これは普通の車では通れません。ぐわんぐわんと左右に揺られ、風を浴びて開放感を感じながら、私はトゥクトゥクにしがみついていました。
林を抜け、畑を抜け、たまに民家がポツンとある、そんな田舎道を1時間ほど進んで行きました。
到着したのは、きれいに整備された畑のある地域でした。周りには民家がいくつかあり、それ以外は緑が広がっています。
草を刈って作ったと思われる空間に学校の建物はありました。もちろん塀も門もありません。プレハブではなく、ちゃんとした建物ですが、とても簡易な小屋のような作りです。
着いたのが11時ぐらいなので、もう授業が始まっているのかと思ったら、生徒はだれも来ていませんでした。私は「今日は休みなのかな?」と思いました。授業をしていなかったので、じっくりと建物を見ることができたのは好都合でした。
建物がこじんまりしていたせいか、「これが自分が寄付をして作られた学校なのか!」と大きく感動することはありませんでした。「ふ~ん、こんな感じかぁ」とただ思っただけでした。
次に思ったのは、「ボクの名前はどこに書いてあるんだろう」と言うことでした。
私がそれを聞く前に、スタッフの女性が言いました。
「今日案内した学校は、今井さんが寄付してくれた学校とは別のところなんですよ」
ああ、そうなのか。
「でも、こんな感じで名前が掘られてますので見てください」
と、名前が書かれている大きな看板が建てられている場所に案内されました。
するとそこには、いくつかの日本人の名前が掘ってあり、その中の1つが知り合いの名前でした。共通の友人でしたので、彼も寄付をしたのでしょう。
綺麗とは言えない字で、ペンキでバンっと大きく書かれている友人の名前を見て、私はシンプルにこう思いました。
「カッコ悪い……」
まさに自己顕示欲の塊です。
「俺がカネを出したんだぜ!」
というような主張が、その大きな名前からにじみ出ているのです。
その知り合いの名前を見ながら、私は、
「あいつ、寒いなぁ」
とつぶやきました。
しかし、これ同じことを自分もやっているのだと思うと、とても恥ずかしい気持になりました。もっとスマートに、さりげなく寄付すれば良かったと思いました。
そうは言っても、クラウドファンディングで寄付するときには、リターンの内容が気になるものです。
「自分の名前が書かれる」というリターンがあったからこそ、私も寄付したわけですので、これは仕方ないのかなと思いました。もし、そのリターンがなければ、寄付をしていないかもしれないのですから。
友人の名前を見ながら、「まあ、仕方ないよな」と思いました。
感謝してない子どもたち
「子どもたちは家に帰ってるんですか?」
と私は聞きました。もうお昼なので、「昼休みにご飯を食べに帰ったのかな?」と思ったのです。
しばらく学校の校舎の周りをうろうろしてみましたが、一向に生徒たちは来ません。
「授業はこれからです。朝は家の農作業を手伝ったりしているので、みんなこれから登校してくると思います」
スタッフの人も授業の始まる正確な時刻は把握していませんでした。そこはもう現地の先生たちの運営に任せているようです。
少しすると、ぞろぞろとカンボジア人の小学生が集まってきました。みんなちゃんとした制服を着ています。女の子も男の子もパリッとしています。
あたりに広がる田舎の風景や校舎の作りに比べると、服装がとてもスタイリッシュで、「けっこうオシャレでいい感じだなぁ」と思いました。
私はスタッフの人と教室の中にいたので、「変なやつがいる」と不審者がられないのか、もしくは物珍しそうにジロジロ見られるのではないかと心配していました。
しかし、まったくそんなことはありません。
教室に30人ぐらいの小学生が集まったのですが、私やスタッフの人がいても、子どもたちはまったくお構いなしです。誰も声をかけてこないし、まさに透明人間扱いでした。彼らは、なにも気にせずペチャクチャと友達どうしで喋っています。
私はカンボジアの言葉が分からないので、もちろん話の内容は分かりません。しかし、楽しそうに話しているということだけは分かりました。
NPOのスタッフの方と子どもたちとは面識はあるみたいでした。スタッフの人は男の子数名に声をかけて、「ちょっと写真を撮らせて」と言っていました。寄付してくれた日本の人たちに贈るお礼の写真を撮りたいのだそうです。校舎の前で、「ありがとう」というパネルを持っている子どもたちの写真です。
しかし、子どもたちはニヤニヤしたりふざけたり、また友達どうしで喋り出したり、なかなか言うことを聞いてくれません。本当に天真爛漫です。なんとか写真は撮れたようですが、子どもたちは終始ふざけた様子でした。「ありがとう」と日本語で書かれたパネルを持ってはいましたが、実際にはなにも感謝してない感じです。
私は離れたところから、このやり取りをほほえましく見ていました。小学3年か4年生の子どもたちってこんな感じだよなと思いました。こんな小さな子供たちが改まって「ありがとう」と言っている方が変です。ふざけながら「ありがとう」のパネルを持っている方が自然な感じがしました。
一応、私も寄付をしているわけですが、その子どもたちに向かって、「ちゃんとお礼を言えよ」なんて思いません。こんな小さな子どもたちにそんなことは望まないわけです。
それは見たことのある光景だった
こうやってたくさんの子どもが教室でわいわいと騒いでいるのを見ていて、鳥肌がザーっと立ってきました。
「これはすごいことだ・・・」と思ったのです。
今まで感じたことのないほどの、ものすごい衝撃と感動が体の中から湧き上がってきました。
実は、この目の前にある子どもたちのいる教室の様子は、「見たことのある光景」だったからです。
私には子どもが2人います。自分の子どもが小学校の時に授業参観に何度か行きましたが、その時にみた光景と、この目の前にあるものが同じだなと思ったのです。
授業参観で小学校に行くと、父兄が見に行っても、子どもたちは大人に話しかけるわけではなく、子どもどうしだけでぺちゃくちゃ喋っています。
そして、小学校の低学年ぐらいの時は、みんな目がキラキラしてます。それは日本もカンボジアも変わりません。
その参観の時に見た日本の小学校と同じ光景が、このカンボジアで同じように実現できているわけです。
それを見て、「これはすごい」と思いました。
「これはとても素晴らしいことをしている」と。
今、目の前にある光景は、本当にありきたりの日常です。日本にいれば、毎日のように全国の小学校で繰り返される日常です。
その日常を、今、このカンボジアで作れているんだと思った時に、鳥肌がザーっと立ったわけです。これは本当にすごいことをしていると思いました。
学校を建てたNPOの人もすごいし、お金出した人たちもすごいし、とにかく関わった人みんながすごいことをしたと思いました。
「当たり前の日常が作れている」ということが、本当のすごいことだと心からこの時に感じました。戦争がないとか、食料がちゃんとあるとか、当たり前のようなことですが、当たり前のことができていうことは、実はすごいことなのだと改めて実感できたわけです。
そして、その当たり前の日常の光景を見てるだけで、とんでもなくすごいことをしたんだという感動と、心からの幸せを感じられました。
この時に寄付とはなんと素晴らしいものなのだと思いました。
少しのお金を出すだけで、こんなに素晴らしい気持ちが味わえるなんて、とてつもないエネルギーがあると思ったわけです。
これこそが寄付の本当のリターンなんだと思いました。
こんなふうに、心から素晴らしい取り組みに少しでも自分が貢献できたと思えたら、他人にどう思われるかなんてどうでも良くなります。他人にどう思われようとも、心から自分を認めて褒め讃えることができます。いわゆる承認欲求が消え去ります。
他人にどう思われるかや、自分の名前が壁にあるかなんて関係なく、本当に良いことしたと自分が思える寄付は、本物の幸せをもたらしてくれます。
私がラッキーだったのは、実際に寄付が使われた現場に行くことができたことです。そして、リアルにその感情を体験することができたことです。
この体験をした後から、他人にどう思われるか気にすることが減ってきました。
やっぱり頑張ってビジネスで稼ごう
そして、この経験を一度したことで、「寄付をすること」と「幸せ」が強くリンクするようになりました。
これは人間の想像力の作用だと思いますが、「この寄付をすると、こうなって、ああなって、こんな風に誰かの日常が作れるんだ」ということがリアルにイメージできるようになったのです。
それから私は寄付をもっと気楽に楽しく、そして幸せな気分でできるようになりました。
そして、「自分が稼ぐことでこの寄付ができてるんだ」と思ったら、「やっぱり頑張って稼ごう」と思うようになりました。自分のためではなく、誰かのためだと思ったら頑張れるのです。
そうやってビジネスを頑張ろうという気持になっていきますので、寄付をして幸せな気持ちを感じた人は、売上が自然に上がると思います。もちろん、きちんと統計を取っているわけではありませんので、私の推測でしかありません。しかし、自分自身が強く実感しましたので、確信を持ってそう思います。
ですので、この気持ちを感じるために、ぜひ寄付をしてみてはどうかと思います。本当にお勧めします。可能であれば、実際に寄付したお金が使われる現場を見られるようなものが理想です。
もちろん、ご自身のビジネスを通じて同じように「本当に良いことをしたなあ」という気持ちを感じることもできます。しかし、寄付を通じて感じられるのは少し違う種類の幸せかもしれません。ぜひ、ご自身で体験してみてください。
そして、寄付をすることで、本当に何かを「与える」ということが腑に落ちると思います。与えるという行為は、それそのもので満足を得ることができます。何か見返りを求めている時は、純粋には与えていないということなのです。
純粋に「与える」という行為であれば、誰かに認められるからでもなく、「ありがとう」と言ってもらえるからでもなく、心から自分で自分を認められて、「ああ、やってよかったなぁ」と心から思えます。
このように、自分を自分で認められるようになると承認欲求が消えて、他人にどう思われるかということが本当にどうでも良くなります。
カンボジアの子どもたちは、まったく「ありがとう」なんて言いませんでした。屈託なく楽しそうにしてるだけです。
しかし、それを見ているだけでとても幸せになります。
自分の寄付によって幸せになった人を見られる、というのはかなり贅沢なんじゃないかと、改めて思います。
そういう思いで寄付をする人が増えたら、本当に素晴らしいと思います。寄付する側もされる側も、とても幸せになれますからね。
ただ、いきなりそういう世界をイメージして寄付をしろと言われても、なかなか難しいのではないかと、自分を振り返って思います。
私が寄付をしたのは、自分の罪悪感を消すためだったり、「稼いでばっかり」という批判されるのが嫌で、「良い事やってますよ」というアピールのためだったり、友達に対する見栄であったり、クラウドファンディングのリターン目当てであったりしました。
つまり、最初は純粋な気持での寄付ではありませんでした。
しかし、きっかけはそういう事からで良いと思います。
最初は自分の名前を掘ってもらうことや、「ありがとう」というパネルを持った子どもたちの写真がなければ、寄付する気が起きないかもしれません。
でも、それがきっかけで寄付をするうちに、だんだんとそんな見返りは必要なくなっていくと思います。
そして、寄付すること自体が楽しくなり、ご自身のビジネスを頑張ろうというエネルギーが湧いてくるのではないかと思います。
私の寄付に関する体験談はここまでです。
最後に、鬼丸昌也さんと「寄付をして幸せになる方法」という対談をさせていただきました。そのアーカイブもよかったらご覧ください。