SMAP解散で考えた事

スライド1

こんにちは、今井です。

SMAPが年内で解散ですね。

「お金」も「名声」も十分な人たちが、
その地位を捨てて解散です。

この報道を見ていて、
幸せについて考えました。

幸せになるために、
ものすごく重要なのは、

やっぱり、、、

 

 

やっぱり、、、

仲間
 ̄ ̄
なのかなと思いました。

広く言えば人間関係です。

お金も幸せには必要ですが、
本質的には人間関係の問題だと思います。

周りの目を気にして、良い服を買ったり、
良い家に住んだり、学歴を求めたり、
それでお金が必要になるわけです。

周りに自分を認めてくれる仲間がいて、
そのままの自分でもOKであれば、
必要なお金も多くないはず。

最後は仲間だと思います。

お金はそういう人間関係から
だんだんと流れて来ます。

ダメ社員時代の話し(最終回)

スライド1

こんにちは、今井です。

私の会社員時代の体験記ですが、
今回で最終回となります!

第1話:
http://carriageway.jp/blog/2016/07/3145/
第2話:
http://carriageway.jp/blog/2016/07/3148/
第3話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3152/
第4話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3155/
第5話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3158/
第6話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3162/
第7話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3165/
第8話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3169/
第9話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3172/
第10話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3176/
第11話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3180/
第12話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3183/
第13話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3189/

今回は14話目、最終回です。

・・・

客先でのシステム開発プロジェクトに入り、
ボロボロになりながらも、何とか最後まで
乗り切ることができました。

まったく分からないところからでしたが、

一度恥をかいたんだから、
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
見栄を張ってもしかたがない
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
という気持ちでやりました。

逆に言えば、

どうせ恥をかくのであれば、
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
このプロジェクトで全部やろう
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
と思いました(笑)

それが功を奏したのか、
それ以降の案件の打合せでは、
言っていることが分かるようになりました。

まるでベテランのように
打合せに参加できるのです!

それまでは、
「自分は開発をしたことがない」
という劣等感を感じていましたが、

いつの間にか、
商品開発、営業、システム開発と、
一連の経験を積むことができました。

最初は自分の境遇を嘆いていましたが、
そこにいたおかげで、素晴らしい経験を
させてもらったわけです。

どうでもいい話ですが、

このプロジェクトの時から、
急に花粉症になりました。。。

あと、、、

ひどい便秘でした。

それぐらいものすごいストレスでした。

あまりにひどいので、休憩時間に薬局に
浣腸を買いに行ったことを覚えています。

よく分からなくて20mlのやつを買ったら、
店員さんの表情が神妙です。

意を決したように、
「これ、子供用ですが良いですか?」
と聞いてきました。

私は動揺して
「は、はい、大丈夫です」
と、声が上ずってしまいました(笑)

苦しくて大変なプロジェクトでしたが、
今では笑い話として話せます。

いくつもの良い思い出が蘇って来ます。

今でもありがたかったなと、
思い出す出来事があります。

ある打合せの時に、
別チームのリーダーさんが、

「新しいプロジェクトに入って、
最初から分かるわけがない」

と言ってくれたことです。

別の話題で出てきた言葉なのですが、
暗に私への労いのメッセージでした。

訳が分からなくて恥をかかないように
必死だった私は、打合せ中に本当に
泣きそうになりました。

ソフトハウスのSEさんと飲みに行った時も、
こんなことを言ってもらいました。

「ずっと下請けで働いてますが、
どんなリーダーも最初は新人ですよ。

新人だった人が、いつの間にかリーダー
らしいことを言うようになるんですよ」

と。

今思い出しても、目頭が熱くなります。

いろんな人に育ててもらったなと、
感謝の想いが湧いてきます。

それからしばらくして、
私は会社を辞めることになります。

新規事業プロジェクトで自信をつけたので、
起業してもうまく行くだろうと
思っていたのですが、、、

もうこれが!
うまく行かないことの連続でした。

起業時代の話しはセミナーなど、
いろんなところでしていますので、
このお話はここで終了といたします。

最後までお付き合い、
ありがとうございました。

(完)

ダメ社員時代の話し(13)

スライド1

 

こんにちは、今井です。

このところ、私の会社員時代の体験記
を書いております。

第1話:
http://carriageway.jp/blog/2016/07/3145/
第2話:
http://carriageway.jp/blog/2016/07/3148/
第3話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3152/
第4話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3155/
第5話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3158/
第6話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3162/
第7話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3165/
第8話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3169/
第9話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3172/
第10話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3176/
第11話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3180/
第12話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3183/

今回は13話目です。

・・・

商品を初受注して喜びもつかの間、
地獄の日々が始まりました。

ただ売るだけではなく、
客先でのシステム開発に入ることに
なってしまったのです。

理想のビジネスモデルとしては、
パッケージ商品の売り切りで、
利益率は高いし保守費ももらえるしと、
ウハウハなことを考えていました。

しかし、最初から完璧な商品はできません。

作った関係者がシステム開発に入らないと、
何も分からないという状況でした。

私はその部分のチームリーダーとして
プロジェクトに入ることになりました。

システム開発未経験で、
いきなりリーダーです。

新人で学びながらなら良いのですが、
いきなりリーダーはキツかったです。

ここでもまた、

「変なことを言ってはいけない」
「バカにされてはいけない」

という気持ちが強くなって、
相当のストレスでした。

しかし、早い段階で、

「今井くんは素人なんだね」

ということがバレてしまいました。

それで吹っ切れました。

納期は短いし予算は限られているし、
カッコつけている場合ではありません。

一度恥をかいたので、あと何度でも
同じだと割り切れました。

「そんなことも知らないのか」
という反応も気にせず、
いろんなチームの人に教えてもらいながら、
なんとか毎日やりくりしてました。

SEが足りない、来なくなる、
試験用マシンが足りない、
根本的バグが見つかった、
完全にスケジュールが押している、
予算が足りない、
毎日終電、
メンバーがとことん疲弊している、
チームリーダーどうしの仲が悪い、
etc.

本当にシステム開発の現場は悲惨です。

現場への通勤時間は2時間で、
まさに体力の限界でした。

一番の苦しみは、
問題が収束しないということでした。

毎日のようにトラブルが発生します。

課題管理表の項目が増えて行って、
なかなか減りませんでした。

とにかく1つずつ問題をつぶす、
という日々を耐えていました。

失敗を恐れている時間も、
恥をかきたくないと躊躇する時間も
ありませんでした。

それが私の成長にとっては
良かったのかもしれません。

計画を大幅にオーバーして、
ようやく最終のテストにまで
たどり着きました。

(つづく)

ダメ社員時代の話し(12)

スライド1

 

こんにちは、今井です。

このところ、私の会社員時代の体験記
を書いております。

第1話:
http://carriageway.jp/blog/2016/07/3145/
第2話:
http://carriageway.jp/blog/2016/07/3148/
第3話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3152/
第4話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3155/
第5話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3158/
第6話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3162/
第7話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3165/
第8話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3169/
第9話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3172/
第10話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3176/
第11話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3180/

今回は12話目です。

・・・

新規事業を始めて2年以上売上を
上げることができずにいました。

「あの案件は失注しました」
とメーリングリストに報告する日々が
続いていました。

お金ばかりかかって、
なにも成果を出せていないので、
肩身の狭い思いでした。

「ハハハ、今井のプロジェクトは
成功すんのかね?」

という反応の人がいて、
今に見てろよ!という気持ちでした。

・・・

その時も、ある案件の提案書作りで、
営業の部署と一緒に終電近くまで
作業をしていました。

最終チェックで、営業の部長さんが
1枚1枚資料を見てくれていました。

すごく柔らかなジェントルな人で、
それでも、おかしな部分の指摘はしっかりと
してくれるので心強かったです。

見終わって最後に、

「良い提案書だよね」

と言ってくれました。

結果はまた失注だったのですが、
この言葉が本当に嬉しくて、
自分の中で宝物になりました。

自分でも良い提案内容だと思っていて、
「これで失注なら仕方ない」
と、とてもすっきりした気分でした。

今回もまた、
「あの案件は失注しました」
と報告メールを投げました。

・・・

開発と営業の日々が続いたのですが、
まったく新しい感触の案件が来ました。

お客様と話していて、今までとは
まったく雰囲気が違います。

導入する前提で会話が進んで行くのです。

なぜだか分かりませんが、、、

提案に自信がついて、
開発も進んで商品に自信がついて、

このタイミングでドンピシャの案件が
飛びこんできたのです。

本当に不思議です。
でも、そんなものなのかも知れません。

そして話が進んで数か月後に、
提案書を出すことになりました。

また2週間ぐらいは終電です。

提案書を書いて、決裁権者を集めて
「受注判定会議」
をまずは部署内で行います。

提案内容や見積額をチェックして、
承認してもらいます。

この数年で、何度もやった手続きです。

それを営業担当の部署に回して、
そちらで全体の提案を合わせて
取締役レベルで承認をもらいます。

こうして、お客様に提案書が
届けられます。

そして1週間ほどして、
お客様からの回答が来ました。

初の受注でした。

数年間やってきたことが、
実を結んだ瞬間でした。

諦めずに、踏ん張って、粘って、
やり続ければ結果が出るんだと、
実感することができました。

そして、部署のメーリングリストに、

「あの案件は受注しました」

と報告することができました。

場の雰囲気が変わりました。

その時から、私をバカにする発言は
なくなりました。

そして、2年越しに提案し続けてきた
別の案件も受注が決まりました。

その年、表彰されることになり、
事業部長から直々に賞状を受けとりました。

後にも先にも、ボーナス評価でA評価を
もらったのはこの時だけでした。

この数年間支えてくれた協力会社の方々を
お寿司屋さんに連れて行きました。

「あのときマシンルームで、
時間がかかっても頑張ろうって、
言ってましたもんね」

と、数年間の苦労をねぎらい合いました。

ただ、これは地獄の日々の
スタートだったのです。

(つづく)

ダメ社員時代の話し(11)

スライド1

こんにちは、今井です。

このところ、私の会社員時代の体験記
を書いております。

第1話:
http://carriageway.jp/blog/2016/07/3145/
第2話:
http://carriageway.jp/blog/2016/07/3148/
第3話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3152/
第4話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3155/
第5話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3158/
第6話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3162/
第7話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3165/
第8話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3169/
第9話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3172/
第10話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3176/

今回は11話目です。

・・・

前職で新規事業のリーダーをさせてもらって、
3つの大きな学びを得ました。

1つは、「自分で決める」と言うこと。

それから、「客観的に見る」と言うこと。

3つ目は、「何でもできる」と言うことです。

それまで私は、会社は不自由な場所で、
好きなことはできないと思っていました。

上司が決めて、それに従うだけ。

自分の都合で予定が決められない。

一社員ができることはほとんどない。

と思っていたのです。

しかし、プロジェクトを通じて、
案外できることが多いことに気づきました。

実は社内外にリソースが余っているのです!

開発や実験に必要なマシンを買うには、
とんでもない額が必要です。

なんと!
それが社内に余っていたりします。

社内人脈をたどって、
数か月だけ借りることができました。

また、ハードベンダーさんが、
数億円する設備を貸してくれたりしました。

ソフトベンダーさんも、新入社員を無料で
派遣してくれたりしました。

もちろん、こちらで教育してくれという
意味もありますが、それでもマンパワー
としては助かります。

また、セミナーを開催して、
ベンダーさんの営業費用でダイレクトメール
を出してもらったりしました。

開催場所は会社のホールが使えました。

開発の知識、営業の知識は、
ソフトハウスの方々や営業さんが
教えてくれました。

技術的なことは、ベンダーさんが
資料を送ってくれました。

そしてお金なのですが、
上司が予算を取ってきてくれます。

新規事業に予算がおりる制度もあり、
申請して何度か追加予算も確保しました。

年度末には、どこかの部署の予算が余る、
という事も覚えました。

3月上旬は、虎視眈々と「予算が余った」
というメールが来るのを待ちました(笑)

周りのリソースを借りれば、
けっこう好きなことができるんだと、
つくづく実感しました。

やりたいことをやるだけのリソースは、
すでに世界にはそろっています。

自分が持っているものは少なくても、
人に助けてもらえば良いし、
人は助けたいと思ってくれています。

多くの人が、

「売れると良いですね」

と応援してくれました。

これに気づけたことは、
独立してからもかなり役に立ちました。

こうして多くの人に助けてもらいながらも、
失注、失注の連続であることには
変わりありませんでした。

部署のメーリングリストに、
「あの案件は失注しました」
と報告する日々が続いていました。

しかし、ある時、転機が訪れました。

(つづく)

ダメ社員時代の話し(10)

スライド1

こんにちは、今井です。

このところ、私の会社員時代の体験記
を書いております。

第1話:
http://carriageway.jp/blog/2016/07/3145/
第2話:
http://carriageway.jp/blog/2016/07/3148/
第3話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3152/
第4話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3155/
第5話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3158/
第6話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3162/
第7話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3165/
第8話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3169/
第9話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3172/

今回は10話目です。

・・・

どんなに失敗しても、最悪のケースは

「部長に怒られることだけ」

と気づき、新規事業にビビらずに
やれるようになってきました。

この頃、特に良い経験をさせてもらった
と思う事が3つあります。

1つは、「自分で決める」と言う事です。

平社員の私が担ったのは小さなチームです。

それでもリーダーには変わりありません。

いろんな事を決める必要があります。

「あれはどうしますか?」
「いつにしますか?」
「A案とB案はどちらにしますか?」

などなど、メンバーが最終判断を
求めて来ます。

上司や先輩たちに相談しても、
「それは、リーダーが決めることでしょ」
と、言うだけ。

しかたないので、恐る恐るいろんな判断を
するようになりました。

面白いもので、

どっちに決めても大した問題が起きない
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ということに気づきました。

謝った判断とか、取り返しのつかない決断
みたいなものはありせん。

「どっちでも良いから誰か決めて」
と言うだけのことなのです。

もちろん、予算や人に関わることは、
上司の判断が必要です。

でも、上司がOKするであろうポイントが
だんだんと分かって来ました。

最後は、出先の打合せで決めてしまって、
上司には事後報告ということがほとんどに
なって来ました。

上司も忙しくてオフィスにいないので、

「判子を押しときますね」

と、携帯で連絡して、
机から上司の日付印を取り出して、
稟議書類に押印していました。

問題は起こりませんでした。

決めることに慣れたら、
仕事のスピードが加速しました。

2つ目は、「客観的に見る」と言う事です。

上司とチームメンバーとの板挟みになって、
両方の気持ちがリアルタイムで実感できた
ことは貴重な体験でした。

急に上司からメールが来て、

「ええ~っ!今、それを言うか」

と、不平の返事を書こうと思った時、

ふと、メンバーから同じ反応をされた
ことに気づいたりしました。

「あの時は、全体の状況からしたら、
しかたなかったよな。

メンバーも自分の担当だけじゃなくて、
チーム全体を見てくれたらいいのに。

そっか、上司もなんかあったのかな」

と言う風に考えられるようになりました。

上からも下からもいろいろ言われて、
それぞれの気持ちが理解できました。

物事を決めつけず、鵜呑みにせず、
相手の立場だったらどうだろう?と、
客観的に見れるようになりました。

いちいちイライラしたりする事が、
どんどん減って来ました。

長くなったので、3つ目は次回に。

(つづく)

ダメ社員時代の話し(9)

スライド1

こんにちは、今井です。

このところ、私の会社員時代の体験記
を書いております。

第1話:
http://carriageway.jp/blog/2016/07/3145/
第2話:
http://carriageway.jp/blog/2016/07/3148/
第3話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3152/
第4話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3155/
第5話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3158/
第6話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3162/
第7話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3165/
第8話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3169/

今回は9話目です。

・・・

他人と比較することなく、
新規事業にチャレンジできたのは、

「3年かかっていいから、
自分のキャリアにとって大きな財産となる
実績をつくろう!」

という長期的なゴールがアリアリと
イメージできたからでした。

もう一つの理由は、

「失敗に対する分析」

でした。

未経験の仕事は恐かったです。

失敗したらどうしようと言う恐怖です。

そこで、失敗するとどうなるかを
突き詰めて考えることにしました。

そして、どう考えても、
出てくる結論はこれでした。

部長に怒られる。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

これだけです。

減俸の制度はないし、
クビにできるような会社でもありません。

ビビりながらやっても、
大胆にやってもリスクは変わりません。

じゃぁ、与えられたチャンスを
活用しまくろうと思いました。

未経験なのでミスの連続でした。

営業に時間をかけても、
失注、失注の連続でした。

でも、開発や営業、マネジメント、
企画立案など、さまざまな経験が
できました。

社内外には人脈が増えて来ました。

営業の方々とも親しくなったし、
ソフトベンダー、ハードベンダー
の方々とも仲良くなってきました。

開発をしてくれるソフトハウスの
方々とは、もう仲間でした。

「あの案件は失注しました」

という報告を部署のメーリングリストに
投げる日々を耐えられたのは、
成長の実感を感じられたからだと思います。

たくさんの経験をさせてもらいましたが、
特に貴重な経験をさせてもらったなと
後から思うことが3つあります。

それは、、、

(つづく)

ダメ社員時代の話し(8)

スライド1

 

こんにちは、今井です。

このところ、私の会社員時代の体験記
を書いております。

第1話:
http://carriageway.jp/blog/2016/07/3145/
第2話:
http://carriageway.jp/blog/2016/07/3148/
第3話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3152/
第4話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3155/
第5話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3158/
第6話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3162/
第7話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3165/

今回は8話目です。

・・・

商品開発は困難を極めました。

もともとの研究レベルの技術なので、
設計書もペラペラです。

請け負っているのも関連会社ですが、
商用システムの開発には慣れていません。

関係者は多いし、リーダーの私も開発は
初めてのことですし右往左往しました。

年度末までに計画通りに終わらずに、
予算が使えないという状況にも陥りました。

険悪なムードになって、
訴訟を起こそうかという話さえ出ました。

まだ案件を1つも受注していないことが
唯一の救いでした。

結局、売れるレベルのモノをつくるのに、
2年近くかかっていました。

その間の評価は、もちろん「C」です。

でも、この頃から、目先の評価はあまり
気にならなくなってきました。

一番の要因は、ちょうど福島正伸先生の
研修を受講したことです。

細かな内容は覚えていないのですが、
確実にマインドが変わりました。

「3年かけてじっくり立ち上げよう」

という気持ちが芽生えていたのです。

(「3年」というのは、今でも私が
事業を軌道に乗せる目安になっています)

周りが大きな案件を受注していても、
評価の高い同期がいても、
あまり関係ありません。

「目の前の新規事業を立ち上げ、
実績を1つ作る」

という目標が常に頭にありました。

「3年後に新規事業を立ち上げた自分」
をイメージするとワクワクしました。

社内でもなかなかないですし、
転職や独立するにしても
力になるだろうと思いました。

目先の儲かっている案件に関わろうと
する人たちを見て、逆にもったいないと
さえ思うようになりました。

短期的に評価されるかも知れないけど、
独自のスキルや実績はできないからです。

もう一つ、新規事業に果敢にチャレンジ
できた理由があります。

それは、、、

(つづく)

ダメ社員時代の話し(7)

スライド1

 

こんにちは、今井です。

先週から、私の会社員時代の体験記
を書いております。

第1話:
http://carriageway.jp/blog/2016/07/3145/
第2話:
http://carriageway.jp/blog/2016/07/3148/
第3話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3152/
第4話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3155/
第5話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3158/
第6話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3162/

今回は7話目です。

・・・

IT企業で商品開発をしながら、
営業活動もすることになりました。

システム開発のプロジェクトが
未経験だった私にとって、

一番の不安は、

「売れたらどうしよう。
どうすれば良いんだろう・・・」

という漠然とした不安でした。

売れた後の事をイメージできないので、
なんか、ふわふわした感じで、
営業をしていたと思います。

でも、

「最初から売らなくても良いんだ」

ということに気づかされる出来事が
起こりました。

「システムは必要ないんだけど、
データの処理だけしてもらえないかな?」

という依頼があったのです。

非常に安い案件でしたが、
受注に変わりはありません。

しかも、システムを納品せずに済みます。

作りかけの商品を持っている私たちにとって
ピッタリの仕事でした。

小さな仕事ですが、必死でやりました。

「ああでもない、こうでもない」
と言いながら、マシンルームで作業を
しました。

まだまだシステムに導入できる商品では
ありませんでしたが、手作業などもしながら、
データを納品することができました。

「こうやって小さく進めて行けば良いのか」
と、徐々に新規事業の進め方が
分かって来ました。

他の新規案件のチームを見ても、
最初は「実証実験」などと言う名目で、
持ち出しでプロジェクトを進めていました。

これを知って、営業するときのオファーが
変わってきました。

「一度、効果を試してみませんか?」

という提案ができるようになったのです。

「システムがちゃんと動作した」
という安心感も後押しして、
徐々に営業にも慣れて来ました。

社内でも少しずつ認知されるように
なってきました。

客先に連れて行ってもらえるようになり、
コンペなどがあれば、
声をかけてもらえるようになって来ました。

ただ、成果は上がりませんでした。

訪問する際の資料はこちらが作ります。

お客様ごとに資料をカスタマイズするのに、
毎回、数日かかりました。

それで「ふ~ん」という一言で終ることも
たびたびありました。

営業側としてはネタが欲しいだけです。
訪問する理由ができるからです。

お客様に興味がなければ、
別の商品を持って行くだけの話しです。

コンペの提案書を作るとなると、
毎日残業をしながら2週間かかりました。

私の部署だけでなく、さまざまな部署が
関係してきますし、ハードベンダーさん
など社外の情報も必要です。

「見積もり」というのが本当に大変で、
これを間違えてだいたい赤字になります。

担当している部分は自分で見積もりますので、
かなり気を使います。

へとへとになりながら、
何度もコンペに参加しましたが、
受注できませんでした。

こうやって労力だけを使って、
月日が過ぎて行きました。

(つづく)

ダメ社員時代の話し(6)

スライド1

こんにちは、今井です。

先週から、私の会社員時代の体験記
を書いております。

第1話:
http://carriageway.jp/blog/2016/07/3145/
第2話:
http://carriageway.jp/blog/2016/07/3148/
第3話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3152/
第4話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3155/
第5話:
http://carriageway.jp/blog/2016/08/3158/

今回は6話目です。

・・・

新規事業をやることになって、
商品開発がスタートしました。

とはいうものの、現場経験がないので、
どんな仕様にすればいいのか分かりません。

以前のプロジェクトでは、
ただ資料を作り続けて1ヵ月たった
ということもありました。

このままだと、その二の舞です。

その時に部長が連れてきてくれたのが、
現場経験の長い、関連会社のSEさんでした。

チームは3人になり、分からないなりに
リーダーとしてやって行くことになりました。

開発も分かりませんでしたが、
営業も分かりません。

でも、自分が売らなければ
誰も売ってくれません。

これも、試行錯誤しながらチャレンジ
していくことになりました。

「まだ存在しない商品を売る」
というのはいまいちピンと来ません。

そもそも、システム開発の大企業が
どうやって営業するものなのかも、
さっぱりわかっていません。

後になって理解できましたが、
ほとんどの仕事は既存の取引先からの
受注です。

新規営業というのは、会社として、
あまり経験のないことでした。

この後に、官公庁などの受注が減って来て、
新規開拓の部署も作られて行きます。

私のように技術開発部門の人間にとって、
営業というのは社内営業を意味します。

営業の部署がお客様とつながっているので、
そこでこのシステムのニーズがないか、
ヒアリングしていくわけです。

ここでも、嫌な経験が思い出されます。

前にやっていたプロジェクトで、
営業部門の人に客先でのヒアリングを
お願いしたら、

「よくこんな漠然とした話が出来ますね」

と言われてしまったのです。

当然、そのプロジェクトはぽしゃりました。

その反省もあって、今回は具体的な機能や、
メリットについて説明できるように、
しっかり勉強していきました。

SEさんにもレクチャーを受けて、
実際のシステムの動きを細かく理解して
行きました。

お客様の業界知識も必要ですし、
ITや現場の知識も必要というわけです。

けっこうな負荷でした。

部長のつながりなどをたどって、
社内のヒアリングが始まりました。

毎日が新しいことの連続で、
こなすのが精いっぱいでした。

一番の不安は、

「売れてしまったらどうしよう」

という恐怖でした。

商品もできていないし、
自分は開発経験もないわけです。

そんな不安を言語化できないまま、
毎日、社内営業をやり、少しずつ開発を
進めて行きました。

しかしこの後、
そんな不安は感じなくても良い、
ということに気づくことになります。

(つづく)